良心

まあよく言われるように、誰にだって良心はあります。
たとえばそれがスゲー凶悪な犯罪者や独裁者であっても、良心の存在が依存するのは一般的な道徳や法律とかの第三者的な基準ではなく、その人の意志や心という自分自身の基準によってであるから、絶対誰にでも良心はあるんですよ。
(第三者的基準ももちろん良心に影響を与えるけれど、やっぱり最後は自分自身の判断だと思います。)
それでね、
最近よく良心の呵責ってヤツが訪れるんです。
たとえばそれは電車の中で、
まあ僕は基本的にジルバーシートには座らない主義ですけど、普通の席であっても「ご老体には席を譲ってあげるべきだ」という常識が出来てるじゃないですか。
もちろん電車には老人が乗ってくるわけで、そりゃぁ譲るときもありますよ。
しかしここで重要なのは、「そいつが本当に老人なのか?」ってとこですよ!
世間一般に言う高齢者ってのは65歳以上の人のことで、いくら頭が白くなってたりシワが多いからってぱっと見て一概に高齢者とは云えないですよね。
まあ厳密に高齢者に限って席を譲るというわけではないですけれど、たぶん席を譲られた側からすれば、譲られてしまった時点で高齢者確定!みたいな、高齢者の門をくぐり抜け、そして洗礼を受けました!おめでとう!的な、まあ悲しい事実を突きつけられると思います。
誰だって歳をとって、老人扱いされるのには抵抗があります。
つまりその人のプライドってもんを傷付けてしまう可能性があるわけですよ、席を譲るという単純な行為に!僕がそう思ってるだけかもしれないけど!
だからそう安々と席を譲れるものじゃないんですよ。ね。
実際、結構高齢の人であってもADL(日常生活動作)のレベル維持のためにはある程度の運動は必要不可欠なわけで、電車くらい立って乗ってくれよと思うところもあったするわけで、席を譲る譲らないってので結構ボクの心は揺れるんです。
日常生活でやたら手助けをしすぎてその高齢者の生活動作レベルが低くなる、つまり今まで自分で出来ていたことが出来なくなってしまう、ご飯食べたり、なんか物を取ったりする行為とかが出来なくなってしまうことも実際起こっているわけで、
それが自分で出来て当たり前的なことに関してはあまり干渉すべきではないのです。
でも、やっぱり歳とったら立ちっぱなのつらいじゃんね!
この間なんか、
お婆さんに席を譲ろうとして話しかけたら、「大丈夫ですよ」って断られたからそのまま座っていたら(この根性がいけないのかもしれない!)、次の駅で隣の席が空いたらそこにそのおばあちゃん座ったんすよ!
(;゜ Д゜)!!!!
どうよ!!!
テンパッタ〜!何でこの人オレの申し出断るの!みたいな!
オレがんばったのに!
それがオレに対する優しさだったのかもしれないけど、逆に少し傷付いてみたり…
う〜ん、席をさわやかに譲るっていう社会のカガミ的な行為に憧れているだけなのかもしれない。
いいことを地でするのは難しいことですね、こうやって考えちゃう時点でダメなんだろうな〜
きっとヒーローには人を助ける理由はないんだ!ヒーローにはそれが当たり前の行為なんだ!
別にヒーローになりたいわけじゃあないけれど、ただの人間としてもっと精進しよう。
 
ぜんぜんオチがないけど許して〜
・゜・(ノД`)・゜・