ひとひらの、桜の花びら舞い降りて

今日は渋谷で新海誠の新作「秒速5センチメートル」を観て来ました
イタリア帰りの友人と。 

(これは去年の桜)
以下ねたバレ。
(※僕は新海作品大好きです)
でも…これは…
これは、ん?新海誠脱オタク映画??
 
第一話「桜花抄」
第二話「コスモナウト」
第三話「秒速5センチメートル
 
良くも悪くも新海作品。
どこまで行っても新海作品。
正直おもしろくは無かったです…
以前「恋愛寫眞」を見たときのような感想。
結局世界の中心は君と僕か…
 
新海作品の売りである画のきれいさは格段に上がっていて
どのシーンも切り取られた一枚の写真のようだったけれど
(写真使ってんだから当たり前ですか…)
ストーリーは「ほしのこえ」から変わることなく
一人の男の子がただただ一途に女の子のことを想っている
という作品でした。
 
今作はより感情移入がしにくく、
加えてやたら大人びた主人公のモノローグが多かったせいで
きれいな景色の上をただ淡々と登場人物が流れていくような、
アニメ作品というよりは、小説を写真と音楽にのせて語っている、
文学よりの印象を受けました。
 
遠くの彼女を想う主人公だけならず、
届かない人を思い続ける新海作品共通の登場人物は、
僕たちの中にもあるであろう、個人の中で完結してしまった伝えられなかった感情の
胸が疼くような切なさとかノスタルジーとかを思い出させて感傷的にさせますが
結局作中でそういった届かなかった思いは自分以外の誰かに伝わる事はなく、
登場人物各々の心のうちでしか完結しないので、なんとも爽快感がありません。
(爽快感よりも、そのもやもやを描きたいのだろうけれど)
(新海さんは絶対に想いを人に伝えないなぁ)
なので、なんというか、
大人になってから思い出という宝箱の中にしまってあった拙い恋愛を
キラキラ光る宝石のように美化して眺めて
「あの時の俺、素敵な思いを抱いていたなぁ」と
ため息をついて過去に思いをはせる。
そういった自画自賛?的、
言ってしまえば「オタクが理想の彼女像を抱いたまま死ぬ」ような
歯がゆさを超えた独りよがりの展開はあまり好きにはなれませんでした。
既に前2作で十分に味わった、完全に閉鎖した恋愛感情にはもう食傷気味なのかもしれません。
だって小学生の時の初恋の人を社会人になっても思い続けるなんてありえないだろ、常識的に考えて…
そこらへん素敵を通り越してあきれてしまいますよ…
3作品目ならば流石にもう少し別の切り口があるんじゃないだろうか…
心を頑なに閉ざして一人の女性(の理想)を追い続ける主人公ってのは新海さん本人のことなのでしょうか?
 
誰にでも優しくて、それなりにモテる。
他のヒロインからフラグ立ちまくりだけど攻略したいメインヒロインのためにスルー。
そして一途になりすぎてバッドエンド。
そんな感じのsneg
  
第3話は
山崎まさよし「One more time One more Chance」のPVとしてしか観ることができませんでした。
時かけ」のED「ガーネット」と挿入歌「変わらないもの」は物語を引き立てたけど、
「5センチ」は「ワンモア」に全てを持っていかれた感じ…
この歌の、このサビのためにアニメにしました!みたいな…
そして
「ワンモア」は彼女と過ごした共通の日々を思い出しているのに対して、
「5センチ」はただ彼女の姿を一人追い求めているだけという差異に違和感。
 
(すっかりまさよしさんがテーマソング担当だということを忘れていたのでマジでビックリ)
(「ワンモア」二度目の映画主題歌かよww)
(彼女の影がほとんど存在しないので「全部、君だった」は使えないけれど)
種子島編であの子と付き合って終わっていたならば)
(「僕と不良と校庭で」がテーマソングになっていたかもしれないw)
(…ん、でも聞いてみるとそっちのほうが…) 
 
主人公の心の内だけ、独りよがりで話が進んでいく中、
女性と男性の恋愛感を綺麗に表現している
ラストのヒロインが主人公とは別の男性と幸せになる点が唯一の救いでした
空想し続ける男性と現実を生きる女性。
ここだけが地に足の着いた恋愛だと感じました。
 
なるほどここが前2作から変化したところですか。
想いが想いのまま、想いが結実して終わった前2作に比べ、
ラストだけは現実的に。
 
数通のメールだけで「無限にも思える距離」を想い合ったほしのこえ
「1000回もメールをしたけれど距離は一センチも縮まらなかった」5センチメートル。
 
僕と君だけの世界から、
君にも僕の知らない君の世界があると気付き始め、
ヒロインが主人公の理想であり続けることなく、
裏切ってでも現実的な人間になって
「僕にとっての君」と「君にとっての僕」がついに隔離し始めました。
 
赤い弓師に「理想を抱いて溺死しろ」と言われないうちに、
どうにか現実を見ることができた、と。
先へ行ける、との吹っ切れからくる最後の笑顔??
でもどんだけ目の前の現実に気が付かず生きてしまったのか…
もはや十分溺死しているではないか…
ここを一番言いたかったならばもっと時間を使っても良かったんじゃぁ…
 
しぼんだ想いに気付いたと言って踏切を渡り、
彼は小さく笑ったけれど
絶対引きずるだろうこいつ。
気付かぬうちに彼女の姿を追い求めて、理想空想の海から上がることはできなそう…
 
空想の彼女を捨てた主人公。
夢想を捨てたオタク。
ほしのこえの「想えば届く」を軽く否定するようなメッセージをも持っている今作は
「現実を見て進め」
と、
もしかしたら脱オタクを示唆した作品なのかもしれません。
(それでも遠野とか「シキ」っぽい名前とか弓道部とか、ネタが透けて見えそうな設定には…)
(沢渡とかさゆりとか)
同じくセカイ系から脱出しようとする意識も持つ作品だったかもしれませんが、
それでも主人公の内向きベクトルのモノローグばっかりだったので脱出はできませんでしたね。
第二話のアカリなんてずっと空想上にしか存在していなかったし。
 
美麗な背景をゆっくり堪能できるフィルムブックとかヴィジュアルパンフ的なものがあれば
その物語も完全に補完出来てしまうような、なんかすごく境界が曖昧なアニメ作品。
僕的にはアニメである必要が背景の2次元表現以外に特に感じえません。
 

(これも去年の桜) 

いやぁそれにしても種子島の女の子も結局コクれないという新海メソッドには全俺が泣いた。
(登場人物の永遠の処女性を維持したかったのかなぁ)
(そこんとこやっぱオタク的だとしか思えない…)