パソコンの中身を整理しようとしていて、今年の一月の日記の途中保存したテキストを発見して
随分とぶっ飛んだ文章を書いてるな〜と読み返してみたら、なんだか今まで書いた日記がとても大切なものなのではないか思えるようになってきまして
はてなの有料サービスでやっているはてなダイアリーブックを作ってみたい衝動に駆られました。
 
う〜ん
過去の自分が感じ、考えていたものを読み返すというものはヒジョウに興味深いものですね。
 
そういえば、ちょうどよい機会で、このまま書き始められそうな話題なので学校の講義の話でも書いてみようと思います。
とっても興味深い話で、やっぱりこの学部で勉強していてよかったなと思うしだいです。(サボりまくってますが)
アリス・ミラーという人物をご存知ですかね?
「魂の殺人者」という本を書いた女性なのですが、
幼少期の教育や虐待などが大人になってからも人格や精神の奥深くを束縛・支配し社会生活に影響を与え、結果犯罪行為や逸脱行為へと繋がってしまうという考えをまとめた本なのです。たぶん
人類史上最悪の独裁者で有名なアドルフ・ヒトラーも幼少期から受け続けた父親から虐待が彼の人格形成に深く影響して、ヒトラーの思想の根本は幼少時代のその歪んだ家庭環境から来ているのではないだろうか、という考え模されていて、
実際ヒトラーの幼少期は、父親が絶対的な権力を持っていて、全て父親の言うとおりにしなければ不可避の暴力に曝されるというかなり過酷なもので、
その頃に刷り込まれたであろう「父親=絶対権力者」というイメージから「人には恐怖が必要である」という考え方に至ったのもうなずけます。
ヒトラーがいい例なのですが、このように子どもの頃受けた虐待が大人になっても心を縛り付けているケースが特殊なケースの人物以外でもたくさんあると思うのです。
ふと、自分が普通に行動していることが、思い出してみれば幼い頃に父親にキツく言われた躾であったり、そういうことって結構あります。
僕の父親は暴力は振るいませんでしたが、典型的な昭和の男で、自分の考えが一番正しいと思っているであろう押し付けがましい教育をする人でした。
だからこそ僕のような歪んだ人間が育ったのだと思います。
僕の場合、父親の束縛から逃げるためにアニメやマンガに奔って、結果ひどいオタクになっています。
これが犯罪行為とかにはしらなかっただけましなのかもしれないですが
オタクだけは自分で選んだ道だと思えるかもしれないですけれど、父親の教育からの逃げ道やあるいは抑圧されたものが逃げ場を失って、
受け手を裏切ることの無い二次元美少女に傾倒してまう結果となったのも考えられる可能性のひとつだと思います。可能性というよりも大きな理由ですね。
 
ちょっとはなしがずれました。
アリス・ミラーのいう「魂の殺人」とは、つまり心を殺し、その歪んだこころまま成長してしまった大人たち、あるいは子どもたちに悪影響を与えた幼少期の体験のことを言います。
そして彼女はその歪み傷ついた心は大人になってからでも癒せるものである、といいます。
この彼女の「魂の救済」という考えを具現化している社会復帰支援施設がアメリカにあり、講義でその施設で生活している人々のドキュメンタリーを見る機会がありました。
このドキュメンタリー番組の話をしたかったんです。
NHK製作だったかな?
アメリカにある「アミティ」という施設では、先に述べたように、A・ミラーの思想の元に、囚人たちを社会復帰プログラム参加者として施設に(といっても規模がでかくてひとつの町くらい)で生活させて、ゆっくりと自分の過去と向き合わせて、どの経験が自分を壊してしまったのかと非常に辛いながらも逃げることのできない過去を受け止め乗り切ろうとするプログラムが行われているそうです。
ドキュメント番組で紹介されたのは、一年に一回行われる一週間にわたる集中合宿のようなもので、各種セラピーから「ドグラ・マグラ」ではありませんが開放治療的な
アートセラピーなど参加者自身が自由に自分の過去を描いたり、何人かのグループに分かれて自分の過去を話し合い、同じような経験をした参加者と同意したりあるいは意見をぶつけ合って
過去の再体験や再確認、その過去が無意識下に封印されていた場合は再認識するというかなり精神的にヘビーなディスカッションを行うなど、某マーボーではありませんが心の傷を切開し、某刺青の人間失格のように解(ばら)して並べて揃えて晒すなどすることによって自らを再確認して前進するということを目指しているのですが
番組を見ているだけでも目を背けたくなるくらい精神的にヘビーな話題がポンポンと出てきます。
大抵切開される心の傷は、幼少期に受けた身体的精神的虐待、育児放棄、そして一番ヘビー且つ最も悪影響を与えてしまう性的虐待、とドラマやゲームなど二次元の世界では結構お馴染みのものなのですが、実際リアル・現実の人々がそれらの行為によってこうむっている精神的苦痛というものは想像できないほどに恐ろしく酷く、我々オタクどもがロリーにハァハァし、暗い過去を持つキャラクターの設定に興奮してるなど、本当に人間の屑であると確信させられるほどものもです。
しかもその体験を人の前で切開するのですから並大抵の精神力じゃ自分の心が逆に壊れてしまうのですが、僕のような糞一般人がもつ考え方で恐縮なのですが、
そこを乗り切り過去と向き合うことできれば、自分で自分を認めることができ受け入れられることができ、自分で自分を許すことができ、何かが変わるのだと思います。
大きな何かではなく、心にずっと詰まっていた悪性の堆積物が排除されて楽になるような、そんな感じなのではないだろうかと思いますが、結局よくわかりませんし、断言できないものです。
僕自身には虐待の経験もありませんが、他人に自分の過去を話し、同時に自分自身がその告白によって過去を再体験再確認するという場をいつか設けて懺悔じゃないけど過去と向き合う機会が欲しいと思っています。腹を割った討論の場を
一人で部屋にこもってモニタに向かって自分の過去をぶちまけるのも素敵っちゃあ素敵だけれど、誰かに聞いてもらうということがどれだけ大事なことか、誰かに受け止めてもらえるということがどれだけ大事なことか、